(イメージ:pixabay)
2021年3月11日。
東日本大震災から10年が経ちました。
今でも鮮明に思い出せるあの揺れ。
建物の中から避難するため、外に出た時に見た悪夢のような光景。
駐車場の車はおもちゃのようにバウンドし、まっすぐの道路が波打っている。
地面の上にあるもの全てが激しく揺れ、その音のすさまじいこと。
そんな中被害に遭われた方々のことを思うと、今でも胸が苦しくなってしまいます。
◆
東日本大震災で被害にあった場所は、個人的にゆかりのある場所ばかり。
というのも、父が岩手出身であり、母が福島出身と、2人とも東北生まれだったから。
また、偶然にも嫁の両親も岩手出身で、結婚してから娘が生まれる6年間は、
毎年義理の母の生家に遊びに行ってました。
両親が共働きだったこともあり、僕は生粋のおばあちゃん子。
気づいた時にはいつもそばに祖母がおり、それはそれはいろんな話をしてきました。
その会話から、基本的な考え方として、人のことを思い、
人のために生きることを学んできたように感じています。
その祖母と一緒に遊びに行ったのが岩手。
祖母や父が生まれ育った場所は、盛岡より手前の北上市。
決して近くはない場所だけに、なかなか遊びにいくことはできませんでしたが、
時に数メートルも積もった雪で遊んだり、山の中を散策したり、
地元の特産品をご馳走になったり。
血の繋がった親戚という人たちとの温かい交流を経験しました。
母の実家となるのは、福島県でも原発事故があった近く。
市町村の編成により住所が変わっておりましたが、相馬野馬追で有名な町でした。
初孫だったということもあり、小さい頃は年に数回遊びに行くほど馴染みのある場所で、
ある時などわざわざおじいちゃんが、僕のために野馬追いの馬を呼んでくれたほど。
ただ、体はでっかいくせに気が小さかった僕は、怖すぎて大泣き。
結局馬に乗ることができず、みんなを困らせてしまいました。。
今思えばなんて勿体無いことを!
乗りたくても決して乗ることができないようなチャンスだったんですけどね(笑)
そして義理の母の生家は、被災地の一部である陸前高田から車で50分ほどの場所。
その関係で、毎年必ず陸前高田の道の駅や、街中を散策して楽しみながら、
気仙沼など海沿いをドライブがてら仙台に向かっていました。
その場所が、全て津波によってのみこまれてしまった。
未だに信じることができない出来事です。
◆
東日本大震災に関係するニュースなどを見るたびに、
僕は今まで経験してきた様々なことを思い出します。
それは、上に挙げたようにゆかりのある地が本当に多いから。
だからこそ、現地で徐々に復興し、力強く生き抜いている方々を見るたびに、
非常に元気をもらえるのです。
これからも、微力ながら復興の応援はしていくつもりですが、
今後は、その中にたくさん力を分けて頂いたお礼も含められたらいいな。
被災から10年経った区切りとして、決心した次第です。
■【今日の質問】
「10年前のあの日、あなたはどこにいましたか?」
■【今日の名言】
「神様は私たちに成功してほしいなんて思っていません。
ただ、挑戦することを望んでいるだけよ。」
(マザー・テレサ|修道女)
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【今日の「ヒント」】
東日本大震災は、個人的にゆかりのある土地ばかり。
そのおかげで、関係するニュースなどを見るたびに、
いろいろなことを思い出しては、勇気をもらっている。
きっと誰にでもそういった元気になるきっかけがあるはずだ。
そんな思い出は、ぜひ大切にしてほしい。
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